私は私でいいのだから

素直に感じた事してみたい事をそのままに

どうしてこうも人間関係に悩まされる???

今日また職場でイヤな事があった

私は職人なのだがベテラン職人さんからのダメ出しの手紙がそこにはあったのだった

具体的な内容はなくその仕上がりにがっかりしたというものだった

私には分からなかった 何がダメなのか・・・

いつもの通りに仕上げて出した ただそれだけ

でもその人には『ダメ』だと映った たからそのような言葉が連ねてあったのだと思う

 

あ~もう私も限界かなぁと思った

何度思い返しても何がダメだか分からないからだ

実際にはもう納品してしまったし 何がダメなのか分からないまま

そして思い当たる箇所もない そうなったらもうこれ以上の成長はない

そしてこの所ずっとある人間関係からのもつれなのかと思い当たる事が頭によぎった

 

仕事の仕方について本社のやり方とベテランさんのやり方を巡って対立している

私がこの職場に入った当初 本社の社員さんから色々な技術を学んだのだが 同時に別店舗でもそこのメインとなるベテラン職人さんからも技術を学んだ

その中で採算や効率を考えたら。。。という事である部分を省いたり簡単に処理してしまう方法を本社ではとっている その事をよくは思わないベテラン職人さんはよく私に指摘してきて『こんなやり方はダメだ』と言った

本社からは『この方法で』ベテランさんから『こっち』というように私は両方を聞いてしまったせいでその狭間に立たされベテラン職人さんからはひどく嫌われる事になった

 

そしていつの日か私が本社の話うっかりしてしまったせいでベテラン職人さんが激怒

『もう私の意見など聞かないでいい!本社の言う事だけ聞いてればいいわ!』と吐き捨てた

あーーーーーーー面倒な事が起きたな・・・です

年配の方は本当に頑固だ 新しい方法を取り入れる事や新しい物事を受け入れてみようという気がなかなか起こらないようだ

そして技術がある若手を決して認めない頑固さといったらない 私が最初に指導を受けたのは30なるかならないかの若い社員さんだ

数多くの数をこなしているので技術力は高い 私よりも随分年下だけど素直に尊敬しているし素直に教えてもらおうとしっかりと話を聞いた

私の中で年齢など関係なかった 出来る人から教わりたいというのが主旨であり年齢などどうでもいい事 でも年配の方は若いから経験がないからダメと烙印を押す

何故そう言えるのか? 私には理解できない

 

そのうちにこんな仕上がりをするあなたはどんな人生を歩んできたの?こんな仕上げだからろくな人生じゃないでしょう こんな仕上げだからぐちゃぐちゃな道を歩いてきたのが見える・・・などと言われその場は怒りを押し殺して黙って聞いていたが 今思えばなぜそこまで否定されるのかじわじわと怒りがこみ上げ この職場にいる価値が見いだせなくなってしまってきていた

その人に雇われて賃金をもらっている訳でもないのに なぜこの人に振り回されて心を乱されなきゃならない? そう思ったらわざわざイヤな思いまでして続ける理由が見当たらなくなってきて今日こそ『辞めよう』と思った事はない

 

趣味を仕事にするのは嫌いになる原因になるかもしれないなぁ~と今は思う

大好きだったはずなのに別の問題に振り回されて楽しさや面白さがどこかへ行ってしまってる このままだと好きな事も見るのもイヤになる日は近い

こんな事なら職業にしなきゃよかったのかな・・・

 

もう少し頑張ろうと思っていたその気持ちが一気に消えた

人格を否定され 生き方を否定されてまでする仕事だろうか・・・

 

今夜はよく考えたいと思う

『ついてる』×10回つぶやいたら・・・いい事あるよ

暗示にかかるのもいいでしょ

たまたまそうなった事でも『あ!やった~』と思える事は結構あると思う

それって『ついてる♪』て事だと思えばわりとわくわくする

ちょっとした事だけど気分上々!

大した事じゃない だけど小さなことの積み重ねでいい気分を保つ為には大切な事に思う

『ついてる』って自分でつぶやいて暗示をかける

何処かの本の1ページに『ついてる』を10回つぶやこう!

と書いてあるのを思い出した

暗示にかかるのもいいかな・・・

そしたらいい事あるかも♪

 

言霊に宿る力を信じて

『ことば』に宿る力はいかほどのものか

ネガティブな言葉ばかりを発している人はあまりいい事は起こらない

逆にポジティブな言葉ばかりを発している人は幸せオーラに包まれている事が多い

だから常に意識してネガティブ発言は避けている

実際にちょっと不安がよぎった時にはずっと『大丈夫』をつぶやいたり

仕事でできなさそうな問題が起こった時には『わたしにも出来る』という感じで自分に言い聞かせて・・・

簡単な事だけど ついついつらい時には後ろ向きな発言ばかりにどうしてもなってしまう

だからあえてポジティブな言葉を選んで声に出すのがいい

 

今はとくに『素敵』な事がなくても・・・

 

朝目覚めた時に『今日も1日頑張ろう』と思えるのと

『今日も1日がはじまるのか・・・』と憂鬱にとらえるのとではその後の時間の過ごし方が随分違ってくる

とくに今はわくわくするような計画も予定もない

そんな時こそ『ついてる』をたくさんつぶやいてハッピーを呼び寄せたい

なんてことない日々にも突然に楽しい事や面白い事が舞い込んでくるから!

 

自分がハッピーでいられる為の努力

毎日を楽しく幸せに過ごす事が健康や精神衛生上とても大切な事かは誰でも知ってるはず

実際に精神的安定をしていれば健康面での不都合があまり出ない上に些細なことでイライラしたりしないで済む

自分自身が気分よく過ごしていれば 周りの人にも優しくなれる

逆に自分自身の心の状態が悪いと誰に対してもなかなか優しくなれなかったり

自分の事で精一杯になったりするものだ

だからまずは自分自身が幸せな気持ちでいられる努力をするべきだと思う

 

落ち込みそうになったら

 

自分なりの気分転換になるものを用意しておいてそれを活用する

例えば音楽 大好きな音楽を聴いて泣くもよし癒されるのもよし

映画やお笑いを見て気分転換する人もいるだろうし おいしい物を食べる事で気分転換ができる人 人によってその方法は様々だろうと思う

自分なりのその方法を使って出来るだけ早めに対処するのが望ましいですよね

 

結局は何でも自分次第

『ついてる』と捉えるのも『ついてない』と捉えるのも結局のところ自分次第でどちらにでもなるという事

そうだよね

結局は自分次第

だよね~~~(^_-)-☆

 

 

シャンプーしない美髪法は本当に髪にいいのか

湯シャンと言われる洗髪法

シャンプー剤を使わずに洗髪する方法がいいとか・・・

洗剤は、脂分を余分に取ってしまうために余計に乾燥したりして返って頭皮の状態を悪くしてしまうというけど実際はどうなのかと ひそかにこの洗髪法を試し中です

 

ただただお湯のみで洗う

丁寧にただシャワーを使ってお湯のみで洗います

こんなんでいいのかなぁ・・・て感じですが シャンプーで泡立てる事なく

ただすすいでるだけという感じでとってもラクです

シャンプーを使わないので節約にもなります

ただこれだけなのでちょっと心配にもなります

汚れとれるの? におい大丈夫? かゆくない?・・・などですね

 

しばらく続けてどうなったか・・・

この洗髪方法たまには薄めたシャンプーで洗ったほうがいいとかも言われているので3、4日置きにシャンプーで洗ってます

汚れはどうなのか見えないので分からないけど…

髪質が若干よくなったのは確かな気がします

元々細い髪質で量はある 時間が経つと脂っぽくなって夜にはぺたんとしてしまう

そんな感じの髪ですが このシャンプー使わないよ洗髪法で根本ふっくらぺたんと感がだいぶマシって感じになりました

シャンプー使ってた時よりふわっという感じです

元々すぐぺしゃんこになってしまいがちな私からすると嬉しい結果です

ボリュームがある方にとってはどうなるのかは不明です・・・ごめんなさい

 

毎日しっかりとお湯で(ぬるま湯)でじゃぶじゃぶ洗う

水道水だけでかなりの汚れは落ちるとあったけど実際にはどうかは目に見えないから分からないけど洗った後はさっぱりしているのでまぁまぁ汚れは落ちているのだと思われる

ただそれだけでは毛先がパサつくかと思い 毛先にトリートメントはしている

そのおかげかどうかは分からないけどにおいに関して心配はないみたい

 

乾かす時にはオイルトリートメントを使用

乾かす時には普段から使っているオイルトリートメントを使用しています

頭皮にはつけません

あくまで毛先だけです

それをまんべんなく塗ってからドライヤーで乾かします

熱でトリートメントが浸透してきたら今度は冷たい風で乾かします

熱い→冷たい を繰り返して髪を整えます

完全に乾いたら最後にまた毛先にトリートメントを塗ります

完成です

 

わたしには合っているかも

シャンプーを使わないようになってから(3,4日に一度は使うけど) 髪の調子はいいです

すすぎだけなので時間も短縮されて尚且つシャンプーを消費しない分節約にもなってうれしい事が増えました

身体も洗剤を使わないお風呂の入り方~みたいなのが言われていますよね

やっぱり余分な脂をとってしまうのは肌でも頭皮でも髪でも同じ事ですね

 

シャンプーと石鹸 上手に活用して

綺麗な髪とお肌を目指そう

『写真の整理』超ニガテ!何年も撮りためたデータはどうするの?

 写真を見るのは好きだけど・・・

今朝娘に修学旅行の時の写真が学校にあるから買ってほしい・・・と言われ『はいどうぞ』と答えたけど…

その写真の行方を考えていたら『どーせその辺に置いておいて数年も仕舞いっぱなしになるのが落ち』と頭の中でぐちゃぐちゃと

 

あ~いやぁ~ね写真の整理整頓とかってほんとニガテだわ

アルバム作成とかちゃんと綺麗にしている人を尊敬する

もう何年も写真をちゃんとどーのこーのしたことない私は今までのデジタル化された写真のデータさえもどうしていいか分からないでいる

 

撮ったデータはiPhoneやPCに入ってるけどそれどうするの?

私のこのずぼらな性格のせいでどんどんデータが溜まっていく一方

iPhoneにも数年前からの写真があるし 昔デジカメで撮ったデータはどこかのSDカードの中に入っているはず・・・

しかし何もしようとしないで(今もしてないけど)今に至るわけで『どーにかしないと』という気持ちはちょっとだけある

それはもはや必要に迫られているからであってそう何かに詰め寄られない限り永遠と何もしないでいる気だな・・・→あかんあたし

iPhoneが事ある度に『データがいっぱいです』とストレージ管理のページに移行する

なんだ!と確認するとほとんどのデータが画像やら動画

そうか・・・そうだよねそのままだものいっぱいになるよね・・・と納得するのだけど見てしまうと消せないもの

あーこれは誕生日の時に撮ったやつ~♪

あーこれは入学式か~♪

あーこの景色綺麗やん~♪

などなどどうでもいいけど削除できない写真がある

みんなどうしてるのかなぁ

 

今流行りのデコるやつ?マスキングテープ貼ったりシール貼ったり色々して綺麗なアルバム作成するのって

 

私は全くマメではない

だから今こうして写真のデータをどうするべきか困っている

最近雑貨屋さんや文具屋さんに行くとアルバムをかわいくするアイテムなどがたくさん売られていて『かわいいなぁ~』『作ってみたい』となる

色とりどりのマスキングテープにかわいいシール 色んな形にくり抜くパンチやらネイルにでもするの?という感じのラメとかのきらきらなど・・・

これらでデコられたアルバムや写真たてなどがサンプルとして置いてある

『あーこんなこと出来たら素敵だろうなぁ』とうっとり

かわいらしい材料ばかりに目が行くけど その前にそのデータ!先になんとかせんかい!の私その以前の問題を解決しなけばならない

 

ずぼらな私に最適な保管方法は

よくよく考えたら仕舞いこんだ写真はほぼ見ないという事だ

部屋のお片付けをしていたら『あ~こんなところにアルバムが』と言って脱線した時に見る程度だ

という事はほぼ私にとってアルバムは必要ないということか?

いやいやたまにはあの時の瞬間を記憶しておいたものも見てみたい!

そうだったらいつも見える場所に置いておけばいいのか

好きな画像はプリントアウトして上記で述べたかわいい色々なデコる材料でかわいくデコって飾ればいい!

そうかそうかそしたらデコってみたいのも写真の整理も両方かなうって事ね

 

さ 早速『要る要らない』選別作業にとりかかろうかな・・・

 

小6女児連れ去られ事件にヒヤリとした保護者の一員として

奈良で起きた小6の女児連れ去られた事件

昨夜 リビングで子供たちとたまたま見ていてたニュースで知った

何何? おトイレに行ったらそのまま連れ去られた・・・という

ヒヤーーーーッッと背中に寒気が走った

私も同じ小6の娘がいる

一緒に買い物に行ったりする

どの家庭も子供を連れて買い物に行ったり 様々な施設に遊びに行ったりする事だと思う

そんな中もうそろそろ大きくなったしトイレくらい自分で行けるよね?と感じてる人は多いと思う

もう少し小さければやっぱり付いて行かなきゃ・・・と思う

あっちにあるから1人で行っといで!となるか 本人自ら『トイレ行ってくるね』がもう普通になってる

だってもうすぐ中学生だもの・・・なんていうのは関係ないのね

 

先日私にも同じような機会があった

買い物中に娘がトイレに行ってくるね・・・と言って1人で行ってしまったのだ

その後しばらくしても戻ってこず だんだんと心配になって 思わずトイレまで行ったのだった

娘は何喰わぬ顔で『手を乾かす機械ね・・・時間かかったのよ』くらいの軽い感じでいたけど 私は本当に嫌な汗をかいた

1人で行かせた事で連れ去られたのかもしれない・・・と頭の中をよぎったから

その時は何もなく事無きを得たけど 今回のような事件があると本当にもーーやめて!となる

この事件の少女が無事に保護されたと聞いて本当にホッとした

同じような事が娘にも起きたらと思うと心底ゾッとする

世の中の親御さんはみなそう思っているだろうと思う

 

手を後ろで結束バンドで縛られたと聞いて 本当につらかったし怖かっただろうと思う 本当の本当に悲しい出来事で彼女の心に大きな傷を与えたのは確かだと思う

おうちに帰れて本当によかった

 

自分もやっぱり何かあって後悔するくらいならちゃんとしておいた方がいい・・・といつも思っているけど 先日のように1人で行かせる場合もあったりと歯がゆい時もある

でも本当に何かあってからじゃ遅い

事件が起きてからいつも何でも『あーあー』という感じになるのが世の常なのかしら

そうならない為にも自分は全力で子供を守ろうと思う

 

今回の少女はあんな怖い思いをしながらでも大声を出せたのは本当に素晴らしい事だと思う 娘に聞いたら怖くて凍り付いて声などでないんじゃないか・・・と言っていた

実際私も過去に痴漢にあった時は凍り付いて一切声など出せなかった

その声に気付いた店員さんが不審な車を目撃している

そうやって自分自身で身を守る方法も子供たちに教えなきゃいけないけど

そんな緊急事態の時にそれができるかできないかは分からない・・・

訓練?練習?等をした方がいいのかな・・・

いずれにせよ自ら自分の身を守る事も教えなきゃいけない事は確かなようです

森三中大島さんの出産シーンテレビ放映に賛否両論って・・・

色々な思いがありますね

結婚や出産・・・ 

芸能人の方のプライベートは一体どのようなものなのか分からないけど

中身はきっと一般人と大差ないんじゃないかと思います

だって『有名』というだけであとは同じだから

あ あと一般人よりお金がある事が違うかな・・・

 

森三中の大島さん

出産されましたね

その事で今度はその出産シーンを明日放送の『世界の果てまでイッテQ!』で放映されるそうですね

その事についてネットでは色々な意見が飛び交っています

 

『出産までも芸にするのか』

『他人の出産など気持ち悪い』

『子供産む事がそんなに偉いの?みんなふつうに産んでるけど』

 

・・・まぁそうですね

私も例に漏れず普通ならぬ超難産で子供を産みました

『出産』は本当に特別なものです

あのような体験は普段見られるようなものではありません

実際 私は生みたての赤ちゃんを見たのは自分の子供が初めてでした

妙な気持ちでした

人間から人間が出てきた・・・ なにこれ?です

破水して人が出てくる

出血もして血だらけの赤ちゃんが出てくる

陣痛も産む瞬間も何もかも初めての体験で『なにこれ?』な事ばかりです

それはそれは初めて見た人も興奮するでしょうね

 

んんんーーー

それをテレビ放映するのか

産む直前には大島さんがカメラをつけたヘルメットを着用してプロの姿勢を見せていたと旦那さんの鈴木さんが言っています

そうですね プロですから・・・

苦しい瞬間もプロとして伝えたかったのでしょうか

それはよくわかりませんが

様々な意見がでそうな雰囲気ばりばりですね

 

気持ち悪い・・・と言っている方はテレビは見ない選択をなさってほしいと思います

今の時代 誰でも子供を授かる事ができない世の中です

結婚や出産の話は本当に気を遣うものです

出来ない人のつらさは出来ない人にしか分からない

また子供を持ってからの悩みは子供を持った人にしかわからない

どちらも同じなんですよね

同じ立場にならないと何だって分からない

だからそれぞれの立場でそれぞれの意見があって当然です

 

どちらが悪いでも良いでもなく

どちらも存在する感情を受け止めるしかありませんね

 

放映されるのは明日です

放映後にまたネットは大騒ぎするのでしょうか・・・

 

生まれた子供に罪はありません

 

 

 

 

 

『結婚』=ゴール!?いいえ『結婚』=『地獄のはじまり』だった←私の場合

若い頃本気で結婚すれば幸せになれるのだと信じていた

とにかく『結婚』さえすればいい

その先に『幸せ』が待っている そう思っていたのだ

 

ところがどうよ

心底好きでもない相手と結婚した場合どうなるよ?

結婚式当日 式の途中で私は逃げてしまいたくなった

彼の態度が気に入らず大して好きでもないのに結婚を決めた自分に後悔した

逃げたい気持ちを抑えたのは『もう既に入籍してしまった』事にあった

今逃げたところでもう入籍してしまった以上夫婦になってしまっている

離婚届を出さなければ別れることはできない

 

その後の新婚旅行でも事件が起きて

心底結婚したことを後悔した

 

いやいやそうは言ってもその先に『幸せ』はあるはず

入籍してしまった以上どうにかしなくちゃと何かきっかけを探し始める

私にさほど関心を寄せない夫に不満を持ちながら 若さと経験のなさからやっとの事で絞り出した答えは

『子供』だった

子供が出来れば何かが変わるんじゃないか・・・と

 

『子供』は『幸せ』を運んでくれたけど…

子供が出来て母としての幸せを手に入れた

これは母になって初めて感じる感情がいくつもあったからだ

『こども嫌い』の私でも育児はできるもんだなと思った

しかしながら夫の私への態度は相変わらずで母子だけが取り残された

小さな子供と私はいつも置いてきぼり

夫はギャンブルにのめり込んでいった

 

いつかツケがまわってくる

母子家庭のような育児が始まって私は夫の事などどうでもよくなった

そのうちに父親不在のような育児に私は育児ノイローゼになっていた気がする

(振り返ってみればだけど)

小さな子供を育てるのは本当に大変な事

保育園にでも預けて働きながら育児すればよかった・・・

四六時中子供と一緒の生活に気が狂いそうになる時も何度もあった

でも夫は知らん顔だった

そんな育児も時間が経てば必ずや成長し思い出に変わる

 

尊敬できない父親を見ながら育った子供はどんどん自分の考えを持ち始め

『あんな大人にはなりたくない』といいはじめる

こんな育児はダメだったな・・・と思っていても 私自身が夫を尊敬などできていないのに子供に尊敬する気持ちを教えられるはずもなかった

 

そのうちに子供は成長してしまった

もう抱っこも必要ない

もうすぐ社会人だ

私は時間が経って 『そういえば自分って何』というのを思い出した

『そういえば私 女だった』

『そういえば私の存在って必要?』

『そういえばずっと我慢している』

『そういえば私の存在価値がみえない』

『そういえばアルコールに逃げる日々』

・・・と数え上げればきりがないくらい自分について考える間もなく時が過ぎていた事に気付かされた

 

間違った選択のおかげでどんどん後悔は膨らみ

間違いを正そうと必死で訴えた

でももう時間は過ぎてしまった

我慢しながら育児をして 1人の人間として見てもらえない日々を重ねた結果

自暴自棄になり消えてしまいたくなった

何度もなった この世から消えたとしても何事もなく変わらずにこの世は回るんだと悲観的になった

こうなったのはそもそも少しの欲で『結婚』=『幸せ』が待っていると勝手に決めて『結婚』する事を決めた自分がいたから・・・

この苦しみは自分のあの時の決断のツケなんです

自分自身が撒いた種の始末は自分でしなくちゃならない

この問題に対する答えは自分自身で出さなくちゃならない

誰も何とかはしてくれない

 

『結婚』=『地獄のはじまり』

だった事は後々になってわかった

気付いたら15年くらい経っていた

結婚さえすれば幸せになるとは限らない

一方通行の『愛』なんて何も幸せになどならなかった

私の『結婚』は失敗だった

未婚者から 夢見る『結婚願望』などを聞くと『結婚』などさほど重要などではなく

その先の生活の方がよほど重要だという事を伝えたいと思う

結婚したその先に待っているのは何かをよく考えればよかった

経験者だから言える事だけど

もう一度やり直せるとしたら 間違いに気付いた時に方向転換すべきだったなという事

 

『幸せ』を探して・・・

自分自身を見つめる時間を持って

いかに『自分自身』について知る機会がなかったな。。。と実感した

そして『自分』の事ながら『自分』の事をまるで知っていない

こんな自分もいるのだなぁと一つ一つ確認して どうすれば幸せになるか真剣に考える事にした

自分の事をよく知りもしないで相手の事などわかるわけなどないんじゃないかと思う

誰かに幸せにしてもらおうと考えるのも違う気がするし

幸せは自分で掴まないとね

もう以前の私ではないのだから

もう昔のように泣き寝入りはしない

もう何を言われても自分を貫き通す

そうして生きていく先には明るい未来があるに違いないと思う

 

安易にした決断が無駄な時間と苦しみの道へと歩む事となった

人は日々選択→決断の連続で人生を進んでいる

これからは間違った選択をしない

もし間違ったらその決断を辞めて違う道を選択しよう

いつでも冷静にノリなんかで重要な事は決めてはならない