私は私でいいのだから

素直に感じた事してみたい事をそのままに

子供も大人も同じ!危機感を感じたら『逃げよう』

岩手県で起きた中学2年生男子の自殺事件

ニュースでも取り上げられているが 朝のワイドショーでも日々の生活の記録などを公開して事件に至るまでの背景を報じている

『いじめ』により自殺を図ったとされている

 

中学生13歳~16歳頃の心と身体の成長は著しく 心のバランスをとるのも難しい時期なんじゃないかなぁと思う

実際に大人になった人は既にその年齢を通り過ぎているのだけど その頃の自分を思い出すと子供から大人に成長していくなんとも中途半端な時期だったと後でわかると思う

丁度中学2年生というのは反抗期真っ盛りで何かにつけ『うぜぇ』と発する年齢だ

特に男子は暴力的になったり 非社会的な事に興味を持ったりする

私にも息子が2人いるのでその変化はよくわかった

 

そこで今回の事件

生活の記録にたくさんのメッセージが綴られている

子供がこんなにもSOSを発しているのに毎日見ている保護者はなぜその変化に気付かないのが私には分からない

学校や担任の対応にも『?』だけど その以前に家族はこの子の毎日をどう見ていたのかな・・・とちょっと心配になった

父親が実名を発表しこんな事件が起きたから堂々と報道してほしいと自らマスコミに言ったのは 『学校は何もしてくれない』と全ての責任を転嫁しているようにも見える

 

暴言を吐いたり暴力をふるったりする方が悪い

もちろん悪い 悪い事を悪いと教えるのが大人だ

それと同じように『こんな事されて苦しい、嫌だ』と感じた時 『助けて』と誰かに伝えなきゃいけない事を教えるのも大人だ

悪い事を悪いとばかり教えても 助けを求める方法は教えない

男子の場合は特にちょっとした事がつらかったりイヤな事があったと大人に訴えると

『何を言ってる』『ちょっとくらい我慢しろ』『弱虫か』『男のくせにしっかしろ』くらいに流されがちだ

だからと言って過保護に育て過ぎては事あるごとにツラいツラいとなり兼ねない

 

しっかりと自分の意思を持って自分で自分の身を守る力を大人は教えなきゃいけない気がする

そしてその後ろから突き放さずにそっと背後から見守るべきだと私は思う

過干渉するのではない 日々の変化は日常生活をしっかり見ていればわかる事だ

朝の支度から始まって学校から帰宅した時の様子

夕飯時の会話から表情 親子のコミュニケーションがとれていたらこんな事にはならなかったんじゃないかなとも思う

日常生活のどうでもいいあれこれを話す場所が彼にはなかったのだと思われる

だから生活の記録に大人である担任に訴えかけているのだろう

『誰か助けて』と言わんばかりだ

その言葉を見て何故先生は一言電話でもいいから保護者に『最近の様子はどうですか?』と言わなかったのだろうか・・・

子供が見ている世界は本当に狭い

学校生活が生活のほとんどを占めている

だから人間関係の苦しむ子供が不登校になる

大人も同じだ ただ大人にはたくさんの選択肢がある

子供には選択肢がないと子供は思い込んでいる

だから大人が『世界はあなたが考えている以上に広い』って事を教えなきゃいけない

 

そしたらあんな学校へ行かなくてもいい

生命の危機を感じるような学校へ何故行かなきゃならない?

健康である為に行かないという選択

学校を変わってもいい

大人に助けを求めて暴力をふるった子供を叱ってもらうのもいい

いくらでも選択肢はあった

でも彼は電車に飛び込んでしまった

わずか13年しか生きていないのに自らの命を絶ってしまった

絶ってしまったものは二度と帰らない

 

 

もし誰にも相談できず 誰にも聞いてもらえず苦しんでいる人がいるなら

大きな世界がある事を思いだしてほしいと思う

今はインターネットという世界中につながる大きな世界がある

飛行機に乗らなくたって 自宅から出なくたって 誰かに相談する事が可能だ

聞いてもらう事が可能だ

自分が見ている世界は本当に小さい その小さな世界から飛び出して一歩外に出る勇気が持てたなら未来は輝くものになる

 

大人も子供も関係ない

命は尊ばれるものだ